【歓喜の人生を味わう】頭の中の引き出し

唐突ですが皆さん
「人生の目的とは何か」

そんな哲学を
自分なりに持っているでしょうか

今日は一つ
ご提案してみます

新鮮な感動に満ちていて
振り返っても納得がある

人生の目的とは
そのような歓喜を味わうことでは
ないだろうか

閉塞したストレスに満ちていて
振り返っても後悔ばかりある

という人も
嘆く必要はありません

これは
変わっていくことが出来るのです

人はいつからでも
歓喜の生命に変わっていくことが出来る

そんな哲学を
「頭の中の引き出し」
というイメージを使って

説明してみたいと思います

良質な哲学を持つことは
人生を豊かにし
社会を楽土にします

ただし100%の正しい考え方
をしなければならないような
固いものではありません

減点方式の教育を受けてきた我々には
最初は難しいかもしれませんが

「偉い人が言っているから正しい」
とかではなく

どんな風に学び
自分の中に落とし込むかの方が
大切です

学ぼうと思えば
赤ちゃんからだって学べますし

なにげない小学生の一言に
たくさんの大人が
ハッと気づかされることもあるでしょう

そのような
素直で柔軟な心が

哲学を小難しい割に
たいして役に立たないものから
人生を豊かにするものへと
変えるのだとおもいます

減点方式の
ギスギスしたストレス社会で
心を閉ざしていれば

そんな「学び」や「気づき」
の機会を
自ら失ってしまいます

それは
非常にもったいないですよね

本題に入っていきます

想像してみて下さい

あなたの頭の中には
た~くさんの引き出しがあります

脳の大きさは
それほど皆さん
大きな違いはありません

引き出しの総量は
あまり違わないんです

だけどどれぐらいの引き出しを
どんな風に使えているのかというのは

みなさん
ずいぶん違うように思います

心が軽い人は
自由に使える引き出しの割合に
余裕があって

引き出しの中はいつも
新鮮な感動に入れ替わっています

逆に心が重い人は
引き出しがギスギスと
開きにくくなって
ストレスがたまります

そんなものが入っている
引き出しは
無意識の奥に追いやって

どんどん使える引き出しを
少なくしていきます

使える引き出しが少ないから
「学び」や「気づき」に
気が回らないし

無意識という
自分の存在の土台に

見たくないものが詰まっているので
人生が苦しいのです

とっくに新鮮な感動でなくなっている
過去の栄光ばかり
美化して見ている人もいます

悪循環ですね

みんなここから抜け出したい

かくいう私も
劣等感や自己否定の塊のような人間です

友達いないし
お金もないし
ヘタレだし

何やっても
上手くいかねーよ

みたいな思いは
山ほど持っています

はい、さて

さてさてさてさて
さてさて・・・・・・

心が重い人も
歓喜の生命に変わることは出来る

変わることは出来るん
ですけれども

ネガティブは良くないよ
ポジティブに行こうよ

みたいなの
あるじゃないですか

その言葉や考え方が
良い悪いじゃなくって

そういう言葉を聞いて
自分がどういうことを行うかな

ってことに
気づいてほしいんです

友達いないし
お金もないし
ヘタレだし

何やっても
上手くいかねーよ

って思いが出てきた時に

こんな思いが出てくるから
自分はダメなんだって思って

こんな思いが出てくる引き出しは

開かないようにして
無かったことにしよう

そういう心の働きって
起きたりしませんか

それはダメなことではなくて
それによって
守られる自分もあるんだけれど

それだけでは
使える引き出しが減って

無意識にある苦しみが
増える一方です

人生を楽に
豊にするためには

自然なタイミングで
安全に見れる環境を作って

引き出しを開けて中を見て

その引き出しを
使えるようにしていく必要があるのです

友達いないし
お金もないし
ヘタレだし

何やっても
上手くいかねーよ

って思い

出てきていいよ
出ておいで

どうして
そんな風に思うんだろ
思ったんだろ

責めずに
どうしたの
何があったの

って

見ていくんですよ

そうしていくことで

「あってはいけない思い」
だったものが

「そうだったんだっていう納得」
に変わっていくわけです

気づけていなかった自分の
思いに気づいていくわけです

中身が分かっていなかった時には

何か分かんないけど
イライラするんだよ

だったのが

あ、自分には
こんな思いがあるから
そういう気持ちになってたんだな

って分かるんですよ

そうすると

ついきつく言っちゃってた
いろんなことがギスギスしてた
というのが

変わっていきます

例えば自分の子供にね
「なんで出来ないの」とか
「ダメでしょ」とか言っちゃいますよね

自分の中に
あってはいけない姿の
イメージがあって

そこを刺激されたら
どうしたってそういう反応は
出てくるんです

気を付けて押さえて
一つのことは押さえ込めても

中身が無くなってなかったら
結局どこかで
そのつけは回ってきます

「なんで出来ないの」とか
「ダメでしょ」とか言っちゃうのを
ダメな自分として封じ込めるなら

悪化さえするわけです

あれ?
なんでこんな風に言っちゃうんだろう?

責めるんじゃなくって
好奇心で見ていく

そこに納得を見つける

そうすると子供にも
責めたり叱ったりするんじゃなくって
「あれ?どうしたの?」っていう姿勢になれる

世界が一つ平和になるわけです

世の中にはね
「こういうのはダメ」
「こうすれば良いんですよ」
っていう素晴らしい指針がたくさんある

指針コレクターみたいに
なる必要はないですけれど

何か変わりたい
変えなきゃなって
いうものがある時

ダメな部分があったなって
気づくのは第一歩だけど
そこで終わったらなかなか変われない

ダメな自分を押し込めても
一時は良くても

太ってる自分はダメだから痩せるのよ
というダイエットのように
結局リバウンドしたりする
みたいなものです

ダメな部分を見つけたとき
責めたり押し込めたりするんじゃなくって

素直な好奇心で
どうしてこれがあるんだろう?
納得して解消できるかが

本当に変わるために
必要なことなんです

はたして今日の話は哲学だったのか

新鮮な感動に満ちて
振り返っても納得がある

歓喜を味わえる人生のために
なにが必要か
ヒントは得られたでしょうか

メンタルセラピストみずきは
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