カルマとセラピー

ありのまま見てジャッジしない

他の人から見て、
どんなに奇異な行動や言動であったとしても

本人の中では
あるいは本人自身気づいていなかったとしても

それはどこかで必ず辻褄が合っている。

必ず原因と結果があるというのが仏法の教えにもある。

行動、言動、そして意図だ。

因果、身口意の三業として説かれる。

通常、仏教であれば、
だからこの修行をしなさいというような

それぞれの教義化儀などに従うことになる。

方法は様々に提示されるが
ここではセラピーの方法に即す。

セラピーでは現在の果を知って過去の因へ向かっていく。

クライアントの身に感じている衝動
クライアントの意に抱えている思い

もちろん、目を配りはするが正確には見えない。

口をもって対話することによって把握していく。

現在の果のストーリーを聞く中に
過去の因への入り口を探す。

ただありのままに要素を検証していく。

必ず辻褄の合う本人の言葉をたどる。

ここが一般的な様々なこととは大きく異なる。

一般的には世間の問題は
世間の方法で解決しようとする。

より良い解決策を求め続ける。

だけれども非二元をベースとしたセラピーでは
世間は影、投影であり、
本体である仏法、つまり生命の本質へ向かっていく。

必ず辻褄の合う当人の思い感情感覚をたどって
そのオリジナルな本質を見つけていく。

本人でさえ気づいていないその本質を
見つけていくにあたっては

セラピストは余計なものをさしはさんだり
ジャッジしたりはしない。

ただありのままを見ていく。

現在の果のストーリーの中に同化埋没していた感覚と

深く気づいていなかった自己を発見し受容した視点と

それは必然的に見え方は変わってくる。

投影だと気づいた上で、楽しめる余裕が生まれる。