早読み無量義経

私はこのように聞いた。

仏の説法が四十余年に至ったある時
仏のもとに多くの聴衆が集まった。

その中に立派な大菩薩たちがいた。

罪を犯さず心を乱さず
物事を正しく見て
精神の自由がある

透明な存在として
精神は安定して
穏やかでナチュラル

自分の考えを入れたジャッジをせず

静かに澄んだ心は奥深く無限

大菩薩はそのようである。

その指導性は

真理を見極め、事理を思量し
存在と非存在、長短を明らかにし

人々の性格や欲望を知り
どのように囚われた思い煩い悩みも
引きずられない対話の力で
心の仕組みに従い心の仕組みを説く

まず思考を整理し感情のエネルギーを流し落とし
悩ます情動の消えた安らぎの境地への門を開き
思いのままにならないストーリーから解放される風を送り
世の中の悩みの熱を冷まし
心の仕組みの清らかで清々しい境地へ至る。

十二因縁をもって
分離した個、事実と解釈、投影と同化、心の仕組みを丁寧に解き
それをもって生死などの最大の苦悩にまで日の光にそそぎ

全ての人の平等な救済

生命の奥底から無上の悟りの芽を出させる。

真理真実は難解であるけれど
無量の大きな慈悲が生命あるものすべてを救う。

大菩薩は巧みに自由に
相手に応じて導く師である。

大菩薩は仏を讃えて言った

「仏は心に汚れ穢れ執着がなく煩悩を調え制御する知恵を授ける師であり
 セルフイメージを癒し、感情を静かにし、引きずる思いを静かに滅し
 見える聞こえる臭う味わうされる思われる投影の認識を無くし
 心を静かに滅して長い間ストーリーを断じて
 この世に存在する有形や無形の一切のものの成り立ちを
 分析的に詳しく考察することをしない。

 その仏身の存在は、有でなく、また無でなく、
 因でなく、縁でなく、自他でなく、
 方でなく、円でなく、短長でなく、
 出でなく、没でなく、生滅でなく、
 造でなく、起でなく、為作でなく、
 坐でなく、臥でなく、行住でなく、
 動でなく、転でなく、閑静でなく、
 進でなく、退でなく、安危でなく、
 是でなく、非でなく、得失でなく、
 彼でなく、此でなく、去来でなく、
 青でなく、黄でなく、赤白でなく、
 紅でなく、紫種種の色でない。

 仏は正しい認識などの行いによって生じ
 優れた五感六感の修行の方法より発し
 様々な心の力の智慧行より起こり
 人々の良い行いの因縁により生まれ出る。

 立派な姿を現し、しかも実際には姿の実態をもたず
 人々に喜ばれ礼を尽くされ 心を思いやり敬いを表わし礼儀正しく丁寧に接せられる
 自分を高くしてそれを自慢することをせずこのような秀でた容姿になられた。

 私たちは心から深く礼を尽くして
 仏の教えを信じ従います。

 私たちは心から深く礼を尽くして
 仏から習うことを一々にアウトプットし
 仏の素晴らしいことを褒め讃え紹介し
 巧みに諸々の困難な修行を成し遂げられたことに心から信じ従います。」

大菩薩は続ける「問いたいところがございます」

仏は答える「よろしい、質問をしてみなさい」

大菩薩は問う「修行者がすぐに悟りを成就するには何というどんな修行が良いでしょうか」

仏は答えて言われた

「その唯一の教義を無量義という。

 悟りを求める修行者が無量義を修学することを望むならば

 この世の有形無形の一切は調和し、宇宙全ては実体がなく本性は空であり
 大きさもなく、小ささもなく、生じることもなく、死ぬこともなく、
 留まることもなく、動くこともなく、進むこともなく、後退することもなく、
 何も妨げるものがなくすべてのものの存在する場所としての空間があり、
 これ以外の法は無いと智慧によって対象を正しく見極めよ。

 人間のマインドはいつも、これは何だ、あれは何だ、こっちが得、こっちは損
 勝手気ままに計算して良くない思いを起こし悪い行いをして
 一喜一憂に振り回されることを繰り返し、心身の苦しみや災いを受け
 延々と自ら抜け出すことができないでいる。

 悟りを求めるならば、そのような本質をはっきりと見極め
 哀れみの心を生じ大きな慈悲を発して、今にも苦しい状況から救い出そうと願い、
 またこの世に存在する有形や無形の一切のものに深く関わりなさい。

 永遠普遍の真理の様相はこのようであり、このようにして永遠普遍の真理を

 生み出し、存続させ、変えていき、消滅させ

 間違った真理を生み出し、正しい永遠普遍の真理をうみだす。

 しばらく変わらず続いたり、変化したり、消滅したりということもまたこれと同じなのです。

 悟りを求める修行者はこのように4つの様相の初めと終わりを
 智慧によって正しく見極めて全てもれなく理解し

 次に本質をはっきりと見極め全てのこの世に存在する有形や無形の一切のものは
 一瞬たりとも変わらないで続く事はなく、次から次へと生まれては消滅すると思いめぐらしなさい。
 またすぐその時に生まれ、変わらないで続いていき、変化し、
 消滅すると思いめぐらして物の真理本質を悟りなさい。

 このように思いめぐらして、生命のあるものすべての能力、性格、欲望を推し量りなさい。

 性格や欲望ははかることができないほど多いために、説法もはかることができないほど多い、
 説法がはかることができないほど多いために、教えの内容もはかることができないほど多いのです。

 無量義とは一つの永遠普遍の真理から生まれたのです。

 その一つの永遠普遍の真理とはすなわち一切の執着を離れた無という状態です。

 このような一切の執着を離れた無という状態は、物事がなく、物事が起らず、
 物事が起らないために物事がないことを真実の本性と呼ぶのです。

 悟りを求める修行者よ、このような真実の様相に留まってそこから物事を見て、
 そこから発する慈悲の心は、真理を悟る心でありむなしくないのです。

 生命のあるものすべてのところにおいて真に巧みに苦しみを抜き取ることができるのです。

 苦しみをすでに抜き取って、またそのために永遠普遍の真理を説き、
 諸々の生命のあるものすべてに対して快楽を授けさせることができるのです。

 悟りを求める修行者で、もしこのように全ての仏の教えである無量義を修める者は、
 必ずすぐに一切の真理をあまねく知った仏と同じ最上の智慧を得るでしょう。

 修行者がすぐに成仏をしようと願うならば、きっとこのような
 非常に深くこの上ない衆生救済を重んじる無量義経を修学するであろう」

そのときに大菩薩は仏に言った

「その説法は通念では理解できません。
 重ねて世尊に問いたいと思います。

 仏教において今まで多くの教えが説かれてきました。
 諸行無常の教え、諸法無我の教え、涅槃寂静の教え等の無数の教え

 それらを聞いたならば、修行の階梯を進んでいき
 煩悩に気づくところから次第次第に
 三阿僧祇劫の修行をして7万7千の仏を供養し悟りへと向かう。

 以前お説きになられたそれらと、今お説きになられたものと
 何か違いがあるならば、それは

 この無量義経を修学するのみによって
 必ずすぐに仏と同じ最上の智慧を得るということです。

 修行すれば必ず仏と同じこの上ない悟りを開くことを得るとは
 どのような意味でしょうか。」

それに対して仏は答えた

「いい質問です。当然知っておくべきでしょう。

 私はその昔、菩提樹の下に端座して六年目に一切の真理をあまねく知った
 最上の智慧を成じることを得ました。

 自他超越の悟りの世界から見て一切を細心に観察してみると
 最上の智慧をそのまま述べて解き明かすべきではない。

 なぜならば説くべき相手の性質や望みが、みな違うと知ったからです。

 性質や望みが違えばそれぞれに違う教え方が必要になり
 今まで説いてきたのは、その場その場の相手に合わせた
 臨機応変の方便の側面だったのです。

 今に至るまで最上の智慧そのままの真実は明らかにしていない。

 そのために、今まで説いてきた教えには違いがあり
 簡単にこの上ない悟りを得ることはできない。

 教義が異なっているために修行者の理解も異なる。

 理解が異なるために仏道修行によって得られる教え、仏道修行によって得る位、
 仏道修行によって得る悟りもまた異なる。

 私が悟りを開いて初めて教えを説いたときから、
 今日、大乗無量義経を演説するに至るまで、未だかつて説かなかったのです。

 苦や空は常に存在しないし、自分自身も存在せず、
 真実もなく虚偽もない、大きさもなく小ささもない、
 本来生まれてもいなければ、今また滅してもいない、

 一つの姿かたちや、姿かたちがないこと、全ての存在に高下・善悪の相があること、
 すべての存在や現象の真の本性、理法のすがたや理法の性質は来ることもないし去ることもなく、
 しかも諸々の生命のあるものすべては
 生まれる生、存在する住、変化する異、消滅する滅の四相を変遷すると。

 この教義の理由により、
 全ての諸々の仏の言葉には嘘偽りがないのです。
 巧みに一つの真実の言葉で広く人々の声に応じ、
 巧みに一つの身体を以ってガンジス川の砂の数ほどの数え切れない身体を示し、
 その一つ一つの身体の中にまたガンジス川の砂の数ほどの数え切れない種々の形を示し、
 一つ一つの形の中にガンジス川の砂の数ほどの数え切れない形を示すのです。

 これはすなわち諸々の仏について人々が理解することが
 困難な果報としてこの世で受ける境遇なのです。

 修行者よ、もし早くこの上ない悟りを開こうとするならば、
 非常に深くこの上なく衆生救済を重んじる無量義経を修学しなさい。」

仏がこれを説き終えると、世界が振動した。

修行者の中に多くの教義と心の安らぎを得るものがあり
自身の中に眠る力を開発しよく教えを広め

そして数え切れないほどの衆生が
一切の真理をあまねく知った最上の智慧を得ようとする心を起こしたのです。

大菩薩は仏に向かって言った

「世尊、世尊は一言では言い表せないほど細かく複雑で非常に深く
 この上なく衆生救済を重んじる無量義経をお説きになりました。

 それは真に深く深く非常に深い教えでした。

 一度でも聞けば巧みに全ての教えをを授かるものです。

 この法を聞く機会を得たならば、それは大きな御利益を受けるのです。

 もしよく修行すれば必ずすぐに最上の完全な悟りを成就することができるからです。

 世尊、この経典は人間の認識や理解の限界を超えています。

 ただ願わくは意味や趣旨をおし広げて説明してください。

 この経典はどこから来て、どこへ去り、どこへ至り、どこへ留まるのでしょうか。」

仏は答えて言われた

「素晴らしい、その通り、既に深い真実の教えだ。

 おまえがこの経典はどこから来て、どこへ去り、
 どこへ続いていくのかと問うならば、当然よく聞くべきである。

 この経は諸々の仏の心のなかより来て、全ての生命のあるものの悟りの心へ去り、
 諸々の悟りを求める修行者の行いの中にあり続けるのです。

 この経はこのような計り知れない幸福をもたらすもとになるよい報いと力があり
 人々を最上の完全な悟りへと導くのです。

 大菩薩よ、この経にはまた十の不思議な報いの力があるのを聞きたくはないか。」

大菩薩が、お聞かせくださいと答え、仏が続ける。

「第一にこの経は巧みにその人の悪い性質と逆の善い心を起こさせる。
 第二に少し演説を聞いただけでもコツをつかんで無量に話を展開させられる。
 第三に少し演説を聞いただけでも恐れず勇敢に他者を救い出す。
 第四に自分自身で悟りを開くことができなくても他の人を悟りへと導くことができる。
 第五に教えを銘記すれば修行が進んで不退の位に上り時間を短くも長くもし喜びを伝える。
 第六にこれを聞き一心に修行すれば、煩悩を断ち捨て去り、悟りを得る。
 第七に全ての苦悩に苦しむ人々を悟りに導こうとするなら修行せずとも六つの徳目を得る。
 第八にこの経典をよく理解した者は仏の姿を見るように尊敬され敬われる。
 第九にこの教に踊りあがってワクワクの経験をし理解し解説すれば過去の悪業は消える。
 第十に遠くない未来に一切の真理をあまねく知った最上の智慧を成就することができる。

 このようなこの上ない衆生救済を重んじる無量義経は厳かで高い徳の力があり、
 敬うべきであってこの上ない。

 真実を理解していない人にも悟りの境地へ導き
 自分では抜け出すことのできない繰り返しという苦しみから解放されて自由を得させるでしょう。

 このためにこの経を無量義と名付けるのです。

 仏教の教えをまだよく理解していないときに、
 悟りを得ようとする心の芽をださせ、
 幸福をもたらすもとになる善行の樹木を生い茂らせ大きく育てるのです。

 このためにこの経を通念では理会出来ない幸福をもたらすもとになる善行の力というのです。」

大菩薩たちは声を同じく言った

「世尊は慈しみあわれみ快く私たちのためにこのような法を説いて、
 私たちに法のご利益を受けさせてくださいました。

 それは大変珍しく今まで一度もなかったことなのです。

 世尊のいつくしみぶかい恩に報いることは難しいのです。」

この言葉が言い終わると、また世界が振動した。

仏は大菩薩たちに言われた。

「おまえたちは、当然この経を深く敬う心を起こし、この教えのように修行し、
 広く全てを教化して謹みはげみ世に広めるべきである。

 当然、常に真心を込めて昼夜仏法を守護して、
 諸々の生命のあるものすべてに仏法の恵みを得させるべきである。

 おまえたち、真にこれが大きなあわれみであり苦しみを取り除くことなのです。

 どんなことも自由自在になし得る
 計り知れない不思議な働きにより衆生を救おうとする誓願の力を使い、
 この経を守護して疑いためらうことなかれ。

 おまえたち、今当然必ず広く人間世界に修行をさせ、全ての生命のあるものに見聞きし
 読み節をつけて唱え書写し供養することができるようにさせるべきである。

 これをすることによって、また速やかにおまえたちに一切の真理をあまねく知った最上の智を得させよう。」

大菩薩たちは座を立って仏のところへ集まり、礼を尽くして言った

「世尊、われらは快く世尊のいつくしみ哀れむ心を授かりました。

 私たちはこの無量義で人々に広く福を得させましょう」

仏は言った

「素晴らしい、おまえたちこそ今真の仏の弟子である。

 仏が人々をあわれみ楽しみを与え苦しみを取り除く大きな心を持って深く巧みに
 人々の苦悩を抜きわざわいを救う者である。

 全ての生命のあるものにとって田が実りを生じるように福徳を生じる者である。

 広く全てのために仏の教えを説いて人々を仏道に入らせる導師となった。

 全ての生命のあるものが頼りとし拠り所として留まるところである。

 全ての生命のあるものに施す者である。

 常に仏法のご利益を広く全てに施しなさい。」

そのときに大いなる集いの人はみな大いに歓喜して、仏に礼を尽くし、
教えを銘記して忘れないことを誓い去った。

(参考サイト https://syoubou.wordpress.com/