今や、限られた人の専売特許ではなく
その理解を深める人が増え
様々なところで様々なメッセージが
発されている。
それでも、純粋な非二元というのは
言葉にしがたい。
言葉というものは、対象化する行為であり
非二元とは「主体と客体が二つでない」
であるから、
究極的には黙してしか伝えられない。
非二元は普段の意識から見れば奥にある
本当はそれしか起きていない事実であり
人は何を見て苦しみを感じるのか
その説明をすることは出来る。
ただ、その普段と非二元の間には
その人その人が経験してきた
複雑な積み重ねがある。
その複雑な思いがあって
それが投影されるから苦しい。
非二元を上手く説明できることと
人生の複雑な積み重ねを読み解くことは
これは違った技術が必要になる。
もちろん上手な非二元や
また、高次元メッセージのようなものは
きっと、とても魅力的だ。
私もそれを嫌いではない。
メッセージを求めるだけでは
新たなストーリーの投影を生きる場合もある。
そうならないためには
よほど上手く、
ストーリーが解体されることを経験しなければならない。
おそらく
社会の中で生活していくならば
ストーリはずっとあるものだけれども
だから全部ではないけれども
セラピーは役立つ。
「苦しみを除きたい」という願いに対しては
セラピーの方が圧倒的に
そこをピンポイントで癒せるので早い。
楽になりたいだけなら断然セラピーだ。
非二元は本当に覚悟をもって
真実に辿り着きたいという時
必然的にその向上において
その先にあるものであるし
その過程で得ることの出来る状態は
見方を大きく広げるきっかけにもなり
セラピーをする際の
安心の拠り所のもなる。
この二つのバランスの実現が
癒しを起こす。