小林ハルイラスト

「ごぜ光」名前の由来

ごぜ光ってどういう意味を込めているのか?

音のインスピレーションと
言ってしまえばそれまでだけれど

閃きと言えば閃きで
それ以上無いと言えば無い。

「光」っていうのは
非二元を探求する時に

強烈に何か

「光なんだよ」
「透明な光なんだ」って

そんなメッセージを受け取っていた。

純粋な気づいている意識って

受け取る側だろうか
発している側だろうか

帰る場所だろうか
来た場所だろうか

もちろん

非二元と言うからには

そんなどちらかなんて言うものじゃ無いんだけど

考えればやっぱり
何か対象化してイメージを持つんだけど

やっぱりそのイメージも思考で

その思考じゃなくて

ただその在るだけのもの

ビジョンの前、色の前の光っていうのかな

そういうの。

大乗仏教の中に唯識論というのがある。

意識を掘り下げて
無意識、潜在意識へと向けていくと

業の因果というものに流れあたるけれど

そこで個という存在が解体される時

それは全体のカルマの集積のようでもある。

仏法ではしばしば
その到達する深さを

淵源としての過去の遠さとして表現する。

俯瞰し見渡しイメージ可能なカルマがあるという事は

未だ至ることのない

イメージビジョンを伴わない
その前の透明な光

純粋な気づいている意識があるってことだよ。

業の前の光。

これ(是)は悟りという光とも言える。

つまり業前光(ごうぜんこう)
あるいは悟是光(ごぜこう)という意味を

後付けかもしれないし
造語なんだけれども

ごぜ光という屋号に持たせている。

この屋号がしっくりくるなぁと
いまさら変えられないぐらいに準備に組み込んで

事ここに至って、既存の「ごぜ」という言葉を見てみる。

瞽女唄(ごぜうた)を唄って暮らす
瞽女(ごぜ)という職業が

その昔にはあったという。

三味線をたずさえ村々を回る盲目の女性旅芸人。

最後の瞽女と言われた小林 ハルは
廃業後に脚光を浴び人間国宝として105歳まで生きたが

明治33年、生後3か月での失明から始まる過酷な境遇
5歳の時に瞽女修行を開始し昭和48年に廃業するまで

大きな脚光を浴びるでもなく人知れず
過酷な運命にも激変する世の中にも

凛として懸命に唄い生きた。

その歌声は聴く者を貫いたという。

その生き様は対峙する者の姿勢を正させたという。

『最後の瞽女 小林ハル 津軽三味線の源流』(YouTube)

その様子が語られた番組の動画だ。

もう叶わぬが
もし私が小林ハルという人物に対峙するとしたら

土下座してひれ伏すしかないんじゃないかと思ってしまう。

私の小さな思いなど
軽く見破られて吹き飛ばされてしまいそうに思うからだ。

もちろんこれは
「今の私がする投影」にすぎない。

だからこそ、このタイミングで
その生きざまを知れたのはありがたい。